さいたま第205団の歴史

205団へのあゆみ

昭和22年(1947年)埼玉県浦和にボーイスカウトが誕生する  昭和22年8月1日、埼玉軍政部教育課長スカット氏の招請により、日本連盟本部理事長三島通陽、同主事関忠志、県社会教育課河合寿三郎の三氏が列席しボーイスカウト再建に関する協議が行われる。

同年9月25日~29日、秩父郡長瀞養浩亭において、第1回指導者講習会が開催され浦和より18名が参加している。10月26日、浦和第1隊、第2隊発隊式が旧埼玉会館前にて挙行される。

指導者16名・隊員80名 隊長今井昭武・秋本英朗 来賓埼玉軍政部長ライアン中佐・スカット中尉・シャンツ伍長・西村実造知事・大沢雄一 県総務部長・細谷憲治県教育部長・塚原千尋県社教課長・松井計郎浦和市長・小山清連市教育課長、他来賓報道関係者多数参列する。県、浦和のボーイスカウト発隊に至る経緯は「ボーイスカウト県50周年記念誌」、河合寿三郎氏の「戦後ボーイスカウト濫觴の地は浦和」(ボーイスカウト浦和地区30周年記念誌)に著されている。

昭和25年(1950年)「浦和第5隊」の発隊

さいたま第205団の前身である浦和第5隊は昭和25年に発隊している。

ボーイスカウト県連50周年記念誌によると、昭和26年4月1日現在の記録に第5隊が明記されている。
同年8月4日~8日の第3回日本ボーイスカウト全国大会(蔵王)には参加したようだが、翌昭和27年の県連5周年記念大会(年表では参加とあるが・・)へは不参加となっていて不明確である。

昭和28年8月関東キャンポリーに第5隊の名前はなく、「昭和28年7月16日浦和第5隊再発隊」となる。
発隊に関する最もはっきりした記録は『昭和28年7月16日浦和第5隊再発足。秋本英朗隊長とボーイスカウト地区関係者の熱意と仲本小学校神田校長の協力により、仲本小学校を中心に再発足。隊長以下32名(副長1名、上級班長1名)。』との記録がある。

昭和24年には第3隊、昭和25年には第4隊、第5隊、昭和26年には第8隊までが発隊している。第5隊は何らかの事情があり、1~2年間休隊状態だったようだ。その後、上記のように再発隊となった。

昭和33年8月 5団年少隊発隊(現カブ隊)、初代隊長は島村良平氏。昭和62年4月 5団ビーバー隊発隊、初代隊長は二瓶則子氏。

平成13年の浦和第5団発隊50周年には8月には記念キャンポリーが日本連盟那須野営場にて行われる。
11月には、仲本小学校にて記念式典が挙行されるなど様々な記念行事が行われた。
また、記念誌も発行された。

元ビーバー隊長高野恵子編集長の下、埋もれていた50年間の5団の記録が形になり5団関係者のみならず、記憶に残る貴重な一冊となった。

浦和・大宮・与野の三市合併によりさいたま市が誕生し、平成21年、ボーイスカウトも地区再編により浦和地区からさいたま南地区となり、浦和第5団もさいたま第205団と名称が移行された。